裏子を公開して少し経った頃に書いたSSをリライトしました。
内容は基本的に変わっていませんが、少しわかりやすくなったかと思います。









「はじめて裏子が店にきた日」




「なるほど。気づいたらそんな体になってもうて、行き場ないままずっと流浪しとったんか。そんならウチで働いたらええやん。」
 雪だるまにちょこんと手足を生やしたような、なんとも形容しがたい姿をした青い生物は、小さな体に大きなリアクションをつけてそう言った。
「おいおい、会ったばかりなのにいきなり採用か? 不用心だな」
 アタシも青い生物にならって大げさに肩をすくめた。
「ま、同族のよしみ、ちゅうやつや。それにな、客商売を長うやってると、顔見たら人となりは大体分かるもんや。二階に一部屋空きがあるから、そこ使い。こっちも人手不足やったから歓迎するわ」
 青い生物がニカッと笑う。
 からだは猫と同じくらいのサイズだろうか。手足は短く、両手の平を合わすこともできなさそうに見えるが、驚くことにからだ全体が伸縮自在らしい。背丈の三倍ほど腕を伸ばし、アタシの肩をポンと叩いた。なるほど、これなら日常生活に支障はなさそうだ。
 床から軽々跳躍してレジカウンターに移動するその姿はまるでゴム鞠だな。

 改めて店内を一瞥する。
 机上にはメニュー、テーブルクロス、レジカウンター下の棚にはコースター、ストロー、カウンター席から覗く酒瓶の棚…。どうやら飲食店らしいが、日中にもかかわらずアタシとその青い生物以外の人気はない。

 それもそうだろう。
 なにせテープで補強された窓は、その努力も虚しくすきま風がピューピュー音を立てているし、床には散乱したゴミがカサカサと揺れている。照明は薄暗く、切れたまま放置された電球もふたつほど確認できた。
 極め付けは、店内に溢れかえる奇妙な商品だ。
 なにに使うのか見当もつかないガラクタのような商品たちは、店の一角に無造作に積まれ埃を纏うためのオブジェに成り下がっている。とてもマトモな客が来るとは思えない。
 かくいうアタシも廃墟だと思ったからこそ、この店に足を踏み入れたのだ。決してあたたかい食べ物を期待して入ったわけではない。
 寝床にする気満々だったアタシは当然のごとく店内を物色し、そして《青いの》と出くわした。しばらくの間は物取りだなんだとすったもんだを繰り広げたが、後に同族だと判明し意気投合したというわけだ。

「見た目はまんま人間やけど、そういや不思議な形の耳しとるな。」
「ああこれ? コウモリみたいだろ?」
 アタシはもみあげをかき上げ、紅く尖った耳を見せた。
「見た目が人間と違うのはココだけだけどな、お前と違って。」
 青い生物を見てニヤッと笑う。《青いの》は「ワイもどっちかって言うと人型やけどな〜?」などとと首を傾げた。
 まるこい見た目からは想像できないが、《青いの》は食人鬼という妖怪で、今の姿はフェイクらしい。自在に姿形を変えられるなら、きちんとした人型になればいいのに、などと思う。
「嬢ちゃんは元々人間やったんやろ? なんで妖怪になったん?」
 そう聞かれ、少し口ごもった。少々気持ちの悪い話になるからだ。……いや、相手は同族。隠す必要はないじゃないか。そう思い直し、アタシは久しぶりに身の上話をはじめる。

———気がついた時にはキョンシーと呼ばれる妖怪になっていたこと。おそらく一度死に、誰かの術によって蘇ったこと。キョンシーになる前の記憶が一切ないこと。蘇った理由、誰が術者なのかわからないこと。それを知るために世界中を放浪していること……。

「ふぅん、そら大変やったな〜。気づいたらそんな体になってもうて、行き場ないままずっと流浪しとったんか。」
そこまで話し、しばらく間が空く。なにか考えごとか…?
 と、パッと顔が輝いたかと思うと、同時に大きな口を開いた。
「そんならウチで働いたらええやん。」
 思いがけない申し出に面食らう。
「ウチには妖怪が出入りするから、そのうち何か情報が入るかもしらんで! 嬢ちゃんはキョンシーやし、店の名前にもピッタリやん。これは運命やな!」
 そうまくし立て、三食宿付きの従業員としてここで働くことをアタシに提案した。
 店名は『吸血闇鍋本舗』とかいう気味の悪いネーミングらしく、寂れる理由に納得し苦笑した。
 だが確かに、ここらで腰を落ち着けるのもいいかもしれない。なにしろキョンシーとして目覚めてから六十余年、ずっと彷徨い続けていたのだ。

 いや、待てよ。
 人手不足、とか言ってたけど、この店は《青いの》だけで経営してんのか?
 改めて店内を見渡し、その荒れ具合を再確認する。
 …人手不足の域を超えている、よな、これ。

「なあ、ここのスタッフってお前だけなのか? ずいぶん手入れが雑だけど。」
「いや、まあ、おるにはおるんやが…。いや、おらんっちゅーか……。」
 《青いの》は急に口ごもる。
 何だかハッキリしない返事だ。
「何だよ、どっちなんだよ。」
「うーん、どっちにしようかなあ……。」
 なんだ、そりゃ。
 《青いの》が二頭身の体を揺すりながら、うんうん唸りだした。
 一向に結論を出さないその態度に少しうんざりしてきた頃、足音が響くのに気がついた。
 それも、店の入り口とは逆方向からだ。
 アタシは首を傾げた。

 ガチャリ、とドアノブを捻る音と同時に、レジの奥の扉から長身の男が躍り出た。
 年の頃は二十二、三だろうか。
 男性ながら整った顔立ちにすらりと伸びた手足。見事な金髪をした色男だったが、吊り上がった眉や切れ長の目からは高圧的な印象を受けた。
 その顔を見るなり《青いの》は顔をしかめるが、それを物ともせず金髪の男はカラカラ笑い、
「やあ、久しぶり。僕の顔が見れなくて寂しかったかい?」
などとキザったらしく腕を広げた。
「アホぬかせ。お前いままで何しとったんや!」
 《青いの》の丸い頭がフグのようなトゲトゲした形に変貌する。感情がそのまま頭部の形に反映されるようだ。
「言っただろ、飽きたって。」
悪びれもせず、金髪はこたえる。
「じゃあ何で戻ってきた?」
「さあね。なんとなくさ。」
「勝手に休んで勝手に復帰すんな!」
 《青いの》が激昂するが、しかし金髪の男は軽く笑うだけで全く謝罪する様子はない。
 《青いの》も慣れているのか諦めているのか、ため息をついてから元の丸い頭に戻った。

「もしかして、さっき言っていたスタッフって…」
アタシが言い終わるのを待たずに、《青いの》は無言で頷いた。よほど手を焼いているのだろう、係るなと言わんばかりの態度だ。
「おや、見慣れない顔だね。」
 指差していたアタシの手を金髪の男が握る。
 ……!?
 いつの間に、こんな近くに…?

 慌てて手をはねのけ、指差した非礼を詫びる。
 金髪の男はニコリと微笑むと、まるで品定めをするかのごとく、じっとアタシを見つめる。
 吸い込まれそうな、深い碧色の目。
 しかしそれは、美しい色であるにも拘らずひどく濁っていた。
 背筋が凍る。

 なにかが、やばい。
 この男は、普通じゃない。
 目を見てはダメだと、本能が叫んでいる。
 急ぎ目を逸らす。
 と、直後ひんやりとしたものが顎に触れた。

 恐る恐る目を向ける。
 男の手だ。男がアタシの顎に手をかけている。そう、まるでキスをする時のように。
 目と鼻の先に男の顔。
 男の息を、髪に、頬に感じる。
 それだけで、体中に妙な感覚が走る。

 アタシの思考はそこで止まった。

「飛白! いい加減にせい! 中国娘もそいつの目を見たらアカン!」
 《青いの》が何か言っている。でも、頭が働かない。
 ぼーとして、何を言っているのか理解できない。

 体中が鼓動を打つ。
 彼の顔だけしか見えない。
 体が熱い。

 アタシは一体どうしてしまったんだろう。
 男が微笑む。
 と、同時にかつてないほどに満たされた気持ちに包まれる。
 男の顔がゆっくりと近づく。
 アタシは、この男に奪われるんだ…。
 高鳴る胸に体を震わせながら、アタシは目を閉じた。

 金髪の男はアタシの腰を抱いて引き寄せると、強引に唇をこじ開ける。
 なにかが口の中に進入してくる。
 男の舌……ではない。人工的な固形物だ。喉をどんどん圧迫する。
 その異様な苦しさに耐えきれず、アタシは膝から崩れ落ちた。その瞬間、視界が開けた。

 男は仮面のように無感情な微笑みを携え、アタシを見下ろしていた。
 ようやく覚醒したアタシは、この状況に目をみはった。
 アタシの口には、銃が詰め込まれていたのだ。

「…………………………? …………………………?!」

 突きつけられた銃と男の顔を交互に見る。
 これは……何?
 状況が理解できず、アタシは混乱していた。
「飛白!!!!」
《青いの》が大声をあげる。
 男は口の端を持ち上げた。
「そう、僕の名前は飛白。君は?」

 信じられない。
 喉に物を突きつけておいて、答えられるわけがない!

 アタシはふるふると顔をふる。
「まあ、どうでもいいか。それより、君。とてもかわいい唇をしているね?」
クスクスと笑う。
「きっと、喉の奥までかわいいよ。見てみないとね」
 そう言いながら、引き金に手をかける。
 冷めきった笑顔だった。

 ま、まて。
 流石に顔が青ざめた。
 アタシは不死のキョンシーだ。
 銃で喉元を焼かれる程度ではおそらく死なないだろう。
 だが、一度死んでいるのだ。
 死んだからこそ、キョンシーとして復活したのだ。
 死んだ時の記憶はないが、アタシの死因は銃弾だと推測できる状態だった。
 またアレにやれれるのかと思うと、心底気分が悪い。
 キョンシーとして目覚めた直後の、焼けるような喉の渇きや痛みを思い出すと、今でも吐き気がする。
 それに、喉元に風穴を開けられるなんてまっぴらだ!

 抵抗しようと腕を振り上げたが、男の左手に阻止される。立ち上がろうとするが、口に押し込まれた銃ごと押さえつけられる。痛い。
 もどかしくて、涙ぐんできた。

 《青いの》が見かねて男に突撃するが、一瞬で足蹴にされて沈んでしまった。
 アタシは鋭く男をにらみつけた。
 精一杯の、抵抗だ。
 最後の最後まで、睨み続けてやる!

「面白い子だね。」

 男が引き金にぐっと力を入れる。
 反撃を夢見つつ、鉛の弾を喉にぶち込まれるのを覚悟した。


「好きだよ。」



 ・・・・・・・・・・・・・・・・・。



 ……は?

 男が口から銃を引き抜いた。
 アタシの体はその場で崩れ、強く咳き込む。
「………何なんだよお前は……。」
 涙目で睨みながら、なんとか声を絞り出す。
 男はにんまりと笑いながら、さっきまでアタシの口に入っていた銃を舐めた。
 カッとなり、思い切り男の手をはたき倒す。
 跳ね飛ばされた銃は宙を舞い、からからと音を立てて床に不時着した。
 男は何事もなかったように、アタシに向き直った。

「君、名前は?」
 ……この男、一体どういう頭の構造してるんだ…?
 アタシは怒りと混乱に震えた。
 男は床に落ちた銃を拾い、愛しそうにまた、舐めた。

「もうええ! 飛白、お前は仕事ええからはよ帰れ!!! 嬢ちゃんも名乗らんでええから!」
 《青いの》がアタシの前に踊り出て、わめいた。
 どうやら復活したらしい。

 男はオーケイ、オーケイ、と手を広げ、「騒がしいのは鬱陶しくて嫌いなんだ」と、くるりと背中を向けた。

「……アタシは、ウラコ。」

 ドアノブに手をかけていた男が、振り返った。
「アタシの名前は、ウラハラ・ウラコだ。」

 男は体ごとこちらに向き直ると、ニコリと笑った。
「ウラコ……ちゃんか。………ふうん。」

 《青いの》はその様子を眺め、観念したようにため息をついた。
「ワイは《んごー》。あっちのアホはスタッフの《飛白》や。 色々迷惑かけると思うが……まあ、よろしゅうな。」
「……分かった。」
 アタシはキッチンを物色し、包丁を手にとった。
 何を、とんごーが口を開く。
 大きく振りかぶり、アタシは魂心の力を込めて、男に投げつける。

ダン!!!!

 包丁は男の右頬をすりぬけ、その背後の扉につきささる。
 男は微動だにせず、衝撃に揺れる包丁の柄を横目に流した。
 肩で息をしながら精一杯睨みつけてやるが、男からは微笑みしか返ってこなかった。

「そういうの、好きだよ。」

 乱れた呼吸を整え、アタシは体勢を正す。
「か、す、り……だったな?」
 確かめながら、ゆっくりと。
「覚えてくれて嬉しいよ。」
 飛白は切り長の目をさらに細めそう言うと、扉から包丁を抜いてアタシに手渡した。刃にはうっすらと血が滲んでいた。

「明日からよろしく。せ、ん、ぱ、い。」
 アタシは手渡された包丁を握り直し、飛白の喉元に突きつけた。
「ああ、明日からが楽しみだね。」
 そうこたえた飛白は、ムカつくほど楽しそうな笑顔を浮かべたのだった。





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